自分の外側ではなく内面に関心を持つようになったことは前に書いたが、その始まりは三十年以上も前に遡る。
それは、神学雑誌に投稿していたある神学者の言葉であった。
詳しくはもう覚えていないが、従来の西洋神学のように主観客観構造でものごとをとらえていては神学はこの先必ずや行き詰まるであろう、というような言葉であった。
主観客観構造で、というのは私がいて世界があって、私がいて神がいて、私がいてあなたがいて、というような知覚のしかたや思考形態のことである。
確かにその後西洋の神学は、行き詰まったのか進歩したのかはわからないが世俗化の一途を辿り、様々な社会運動を支えるものとして変化していった。
貧しい者たち、少数者、迫害される者、自然保護等など、神学はそれなりに貢献したのだと思う。
しかし同時に、いわゆる霊性、スピリチュアリテイというものが失われてしまった感がある。
片やどの宗教にも属さない、あるいは社会的には代々何かの宗教に属していてもその宗教にそんなに熱心でなかったり前面に押し出さない人たちがスピリチュアルな体験を元に本を書いたり、ヒーリングなどのワークショップを開いたり、どの宗教にも限定されない神とか宇宙とかの話をするようになった。
この人たちは概ね自分の内面を探求し、キリスト教は相変わらず主観客観構造で自分の外側に解決を求めているのだと思うのだが・・・・・・・。
少し話が脱線してしまったが、僕自信外側ではなく内面に関心を持つようになったことは前に書いた通りである。
主観客観構造の行き詰まり、社会運動での僕個人の挫折とか無力感。
そんなとき、寝ていて夢を見た。
何の変てつもないただただ普通の夢であったが、この夢が僕の世界観をひっくり返すきっかけとなったのであった。
さて、natsuko女史が女神祭りで歌うというのでこれから出発の準備に取りかかることにする。
続きは次回ということで・・・・・・・・。
尚、今夜はブルースセッション。人妻に捧げる新曲・・・・・・を練習してみたが、下手だったら・・・・・・すみまそん!