心の奥底に潜む後ろめたさ、自責の念といった類のものは信じられないくらい根が深い。
その起源は・・・・・・・・私は神の愛を裏切り、神から離れてしまったという魂レベルのところまで遡ると言われている。
しかし、神から離れてしまったというのは単なる人間の思い込みで、神の方から見てみると全然裏切っていないし離れても居ない。
どんな人であっても完全に無罪。
私には罪があるとは・・・・・・・人間が勝手に思い込んでいるだけ・・・・・・・・・故に、それは実在ではなく錯覚、幻想である。
某氏の日記に関して言えば、その原因が錯覚である以上炎上という結果も錯覚に過ぎない。
誰かが怒って右の頬を打ったとしても、原因となった怒りは錯覚であるがゆえに打たれたという結果も錯覚で実在しない。
そんな錯覚では僕の本質を全く脅かすことはできませんよ・・・・・・・・だから左の頬も差し出してやりなさい・・・・・・・・・・これがイエスの教えであった。
後ろめたさ、自責の念・・・・・そしてそこから生まれる怒りや攻撃防衛、嫉妬、不安などなど・・・・・・・・・・これを癒すには、何度も言うが・・・・・・・赦すしか・・・・・・ない。
攻撃してきた相手を赦し、その攻撃に腹を立てた自分も赦す。
これを何度も何度も繰り返すことによって・・・・・・・・僕たちは癒されるのである。
某氏の出来事があった翌朝、ツイッターを見ていたら僕の愛読書のbotがこんな書き込みをしていた。
まさにタイムリーな書き込みだったので紹介しておく。
「神の創造なさったものは何一つ、たとえ自分がこんなに混乱していても、なんの影響も受けてはいない。自分はいつも何でもないことで気が立っている。」ACIMbotより・・・・・・・・・・。