切花のほうの薔薇が終わった。
短い間ではあったが、大変お世話になった。
瞑想を深める場合、植物をじっと見つめるというのは大変効果があるが、今回僕が見ていたのは花ではなかった。
薔薇の花は確かに目の前に存在している。
存在しているということは、それを存在させているものが必ずその背景にあるはず。
その存在させている存在が神とかスピリットとか宇宙とか、いろいろな名前で呼ばれているものである。
薔薇の花をじっと見つめない。
見つめるとエゴがしめしめと働き出す。
エゴの目的はひとつであるものを分離させること。
じっと見つめると、好き・嫌い、綺麗・汚い、タイプ・タイプじゃない、好い人・駄目な人、本命・二の次・・・・・・などの分離が起こる。
だから・・・・・・・・うまく言葉で説明できないが・・・・・・・薔薇の花を薄らぼんやりと見る。
そして、花を在らしめている存在に意識を向ける。
この方法に慣れてくると、だんだんと神の存在に気が付くようになる。
花だけではなく、もちろん人の場合でも同じである。
相手をじっと見つめるのではなく・・・・・・この場合、普通一般の恋愛などとは間逆なのだが・・・・・・・・薄らぼんやりと見る。
そうすると、相手の中に完璧な神の子、あるいはその人に宿っている聖霊を感じることができるようになる。
バーのマスターとしてはあってはならないことかもしれないが、たまに人の話を聞いていないとお叱りを受けることがある。
その時は、十中八九・・・・・・・・その人やその人の話し声の背後にある完璧な存在を感じようとしているのだと思う・・・・・・・・・だからいつも薄らぼんやり・・・・・・・・なのである。