昨夜、おはようブルースバンドの初代ボーカリストのG氏来店・・・・・。
久しぶりの再会で話に花が咲いた。
その後、音楽好きのU氏を交え音楽談義で盛り上がった・・・・・・・。
途中、またぶり返した五十肩が痛み出し、薬を塗ったのだがどうもいけない。
まいったなと思っていたらそこはうまくできたものでタイミングよくK女史が来店され、患部に手を当てていただいた。
痛みがある程度収まったところで今度はG氏と交代・・・・・・・・。
K女史によると、G氏はハートが寂しいのだそうでハートのまわりを重点的に手当てしていた。
手当ては心身ともに癒やすことができる・・・・・・・・・。
厳密に言うと、本人の自己治癒力にスイッチを入れるだけなのだが・・・・・・・・。
G氏とU氏が帰ったあと、K女史と二人きりの時間が続き、こんな時間は滅多にないということで「愛」について話し合った。
僕はプロテスタントで彼女はカトリックなのだが、聖書という共通点があるのでそこのところを糸口とした。
聖書には三つの愛が書かれている。
それは・・・・エロス、フィレオー、アガペーである。
エロスとは情愛のことで恋愛などがこれにあたる。
フィレオーは人類愛、兄弟愛、同胞への愛・・・・・・・そしてアガペーとは神の愛、無条件の愛である・・・・・・・・。
この三つの愛を比べてみると、エロスがよりレベルの低い愛で、アガペーが最上の愛という印象を受けてしまうのだが、実はこの三つの愛は質的にも量的にもまったく違わない同じものなのである・・・・・・・・。
違いといえば、それはただ愛し方の形が違うだけ・・・・・・・・・。
恋人たちはエロスで愛し合い、兄弟や友人はフィレオーという愛で愛し合うだけで、愛というレベルで見てみるとそこには何の違いもないのである。
そして長い人生において、エロスがフィレオーに形を変えたり、エロスがアガペーに形を変えたりということはあっても、人と人とが愛し合っていくということに変わりはない・・・・・・・・・なぜならば、愛だけが実在で怒りや憎しみや恐怖は幻想なのだから・・・・・・・・・と、こんな話が続いた・・・・・・・・・もっと書きたいのだが時間切れと相成った・・・・・・・・・・・・。