北京オリンピックの聖火リレーが荒れに荒れている。
先日もテレビのニュースで見たのだが、聖火ランナーの手から無理矢理聖火をもぎ取ろうとしたり、水をかけたり、消化器を放射したりとかなり過激なことが行われていた。
人が何を行おうと何を考えようと、人それぞれ自由だし、皆そうやって自分の人生や自分を取り巻く世界を作り出しているのだから何も口を挟む必要はないのだが、僕だったらどうするかと考える時、やはり僕はあの種の反対運動には参加しないと思う。
ではその根拠は何かというと、今までの経験上、反対するとろくなことにならないということを知っているからである。
何かに反対したり抗ったりすると戦う相手がますます大きくなったり強くなったり凶暴になったりして問題が解決するどころかもっと複雑になり泥沼化してしまう。また、力ずくで勝利を勝ち取ったとしてもまことに後味が悪い。更にこちらが相手に対して反感やネガティブな感情を持っているとなぜか不思議なことにこちら側に不快なことやより大きな問題を引き寄せてしまうということが多々あるのである。
そんなわけで、やはり僕なら反対運動には加わらない・・・・・・のである。
やられたらやり返す、目には目を歯には歯をというのがこの世の論理かもしれないが、汝の敵を愛せとか迫害する者たちのために祈れと教えたイエスや、生涯無抵抗を貫いたガンジーや、反戦運動には決して参加しないが平和のための集会にはどんどん招いて下さいと語ったマザーテレサ等はより深い真理を知っていたのだと思う。
反対したり戦ったりしない方法でチベットの人たちの人権とあの国の平和が守られるよう心から願い祈る者である。