天国に至る狭き門とは、一人しか通ることのできない本当に狭い門のこと。
反対に広き門とは、それこそ何十人でも何百人でも何千人でも一度に通ることのできる広い門のこと。
聖書は、私たちに天国に至るためには狭き門から入りなさいと説いているのだが・・・・・・・。
広き門のことを考える時、真っ先に頭に浮かぶのが、昔流行った「赤信号、みんなで渡れば恐くない」というギャグなのだが、物心ついた時から、人並みに生きねばとかよそ様に笑われないように生きなければなどという考え方に影響されて、人並みの学歴を得て、人並みかそれ以上の職を得て、適齢期になれば結婚をし、ある程度の年齢で子供をもうけ、マイホームを手に入れて、定年後は退職金と年金で余生をいくばくか謳歌して人生を終えるなどという人生設計が主流というのは僕の勝手な思い込みだし、こんな生き方も決して悪くはなく、否定したり批判するつもりは毛頭ないのだが、「みんながそうするから僕もそうしなければ」という理由でこの生き方を選択し、その結果その人がその人らしく伸び伸びと生きることができない場合・・・・・その人は「天国」に至っていないということになるのではないだろうか・・・・・・ここでお客さんです・・・・・・以下、次回に・・・・・。