アルジェリアの人質事件。
何とも痛ましい出来事であった。
先日、被害者や遺族の方々の苦しみ悲しみに思いを馳せ、涙を浮かべながら「どうしてこんなことが」と嘆いている女史がいた。
気持ちは痛いほどわかるが、ここは感情に流されずに冷静に考えてみたい。
本当のところ、現場で何があったかわからないというのが事実ではないのか。
戦場で、死ぬ間際に悟りを開いたという人もいる。
その時、一人一人の心にどんな変化が起こったのかは、当人以外誰もわからない。
だから、起こってしまったことはありのままに受け入れ、それ以上引き込まれないほうがいい。
人は死に惹かれる傾向があると言われている。
悲しみ苦しみに耽るのが好きなのだ。
本来は神の子で、愛で平和で豊かで、必要なものはすべて自分の中に持っている存在なのだが、エゴの思考形態、すなわち、私は一人ぼっちで悪戦苦闘してたった一人で死んでいく。この世界は喰うか喰われるか、だから戦って戦って・・・・・とか、例を挙げれば切りがないが、とにかく本来の姿と逆の方、悲しくてとか苦しくてとか切なくてとか希望がないとか、人はそちらに惹かれその感情に耽るのが好きなのだ。
文学だって映画だって音楽だって、この辺を上手く刺激したものがヒットする。(お分かりですね)
人を身体だと信じこませ、本来の姿から目を逸らせようとする。
エゴは本当に巧妙だと思う。
エゴが怖れているのは真理。
真理の光に照らされたらエゴは消えて無くなってしまうから。
それからもうひとつ。
私はあの事件が原因で嘆き悲しんでいる。
事件が原因で嘆き悲しんでいるのが結果。
こう思わせるのもエゴの手口である。
事実は逆で、嘆き悲しむ心が事件事故を作り出すのである。
心が世界を作っている。
原因と結果を逆に見せて、決して答えが見つからないように仕向けるのもエゴのやり方だ。
人の心が癒されない限り、決して世界から事件事故はなくならない。
癒されていない心で、いくら平和や安全を叫んだところで駄目なものは駄目なのである。
まず、自分の心を見つめる。
そこが出発点であり、目標に達する早道なのだ。
幸せになりたいのなら心の癒し・・・・・・・こんなことばかり考えているから(事実なのだが)、ブルースの詞が書けない・・・・・・・・。