ちょっとだけ神様から離れたらどうなるか・・・・・・・。
離れる方法は善悪を知ること。
ここから判断が生まれ分離が始まる。
善悪の判断がなければ社会生活を営むことができないではないか、という人もいるが、よく考えてみるとこの社会の争いはすべて善対善である。
国家間の争いから個人の争いまですべてが自分のほうが正しいというところから始まっている。
こうして男、女、若者、年寄り、イケメン、好みのタイプ、大好き、大嫌い、様々な人種等など、数えだしたらきりがないが、もともと一体であったものが分離していく。
分離が始まったときこの世界が生まれたのではないか。
ビックバンみたいに・・・・・・・・・・。
鶏が先か卵が先かという話があるが、それこそどちらも同時に・・・・・・出現したという感じであろうか。
これは前に書いたが物理の世界の問題・・・・・・・分離してしまった心のエネルギーが素粒子に影響を与えなんて・・・・・・・・僕にはよくわからないが・・・・・・・・・。
神が創った世界はいわばエデンの園のようなもの、これが実在の世界。
その世界とは別のもうひとつの世界を分離した心が造り出してしまった。
パソコンに立ち上げたブラウザの上にもうひとつのブラウザを立ち上げたような感じであろうか。
こうして出来上がった世界に僕たちは実際に生きていると思い込んでいるのだが、もともと神に創られた人間が神から離れてうまくやっていけるはずはなく、その内容は・・・・・・あまり楽しくもなく幸せでもないはず・・・・・・・・・。
聖書によれば楽園から追放されたとき神はこんなことを言っている。
女には産みの苦しみを与え、男は一生パンを求めるために苦しまなければならない・・・・・と。
これは比喩だと思うが、やはりこの世界で生きることは決して順風満帆でもなく、幸せで平和で豊かでなんていうこととも縁がなさそうである。
言い方を変えれば、人間は皆苦しまなければならないという予め書かれている台本を生きるようにと生まれて来たのであった。
書いていて何か気が重くなってきたので、今日はこの辺りでやめておく。
いやいや出口はあるのですぞ(時代劇調)。
ただ単純にもともといた実在の世界のことを思い出せばいいだけなのだから・・・・・・・。