「コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。」
これは、旧約聖書のコヘレトの言葉(以前は伝道の書と呼ばれていた)に書かれている言葉である。
どんなに成功しても、どんなものを手に入れても、彼氏や彼女ができても、たとえ栄華を極めても、すべては過ぎ去るもの、まさに人生は諸行無常である。
「太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。」
と、著者は続ける。
確かにすべての営み、すべての物事は空しい幻想であると思う。
今誕生したばかりの幸せいっぱいのカップルや欲しかったものを手に入れたばかりで人生ばら色状態の人たちには理解し難いだろうが、このことは事実である。
反対に、何も幸せや感動を感じられずに空しい空しいと言っている人たちはこの事実に気づき始めたのかもしれない。
さて、我々はこんな事実を目の当たりにしてどのように生きていったらいいのだろうかと悩むところなのだが、実はここから本当の人生が始まるのである。
もし、すべてが空しい幻想であるという現実を受け入れたとしたらどうなるであろうか。
食堂へ行って、ラーメンにしようか定食にしようかなんて悩むことも空しい幻想、彼女や彼氏が欲しいなんて願うことも、そのために行動することも空しい幻想、温泉にでも行ってのんびりしたいなんいていうのも空しい幻想、Oddへ行って皆とわいわい飲みたいというのも空しい幻想・・・・・・・。
このように、すべてが空しい幻想ということに気がついたら、人は何をする必要もなく、何処へ行く必要もなくなる。
実は、ここからが面白くなるのだが、時間切れになってしまったのでこの続きはまた明日・・・・・・・・・・・。